こうべつながりについて

私たちの物語

会員様との約束を守り続けたい一心で、有志と共に立ち上げた法人

勤めていた法人の破綻が始まり

平成28年3月、勤めていた公益財団法人の破綻により、有志で立ち上げたのが、こうべつながりです。
代表の生駒は、法人の神戸事務所長を経て、平成27年4月、本部移転に伴い部長として東京へ異動。ところがその年末、急速な全国展開と経営者の不正が発覚し、監督庁の内閣府から是正勧告を受け、民事再生法の申請に至り、当時の役員は退陣しました。

急転直下の事態に

残った職員の中で、生駒を含め4人の部長が指揮を執り、裁判所と破産管財人のもと、引受法人が決まりました。最低限の役割を果たせたとの思いで、引受法人には行かず、退職の道を選びましたが、ほどなくして引受契約が撤廃されてしまう事態に!
その事実を知らされた神戸事務所の多くの会員から「何とかしてほしい」と連絡をいただき、急転直下、当時の神戸事務所の有志と共に、こうべつながりを設立しました。神戸事務所の会員様との約束を守り続けたい一心でした。

一生涯の契約を守る決意

多くの会員から連絡をいただいたとはいえ、求められている会員数が未知数であったこと、また、一生涯の契約のため2度倒産させるわけにはいかないと、当時の会員に向けて法人設立説明会を開催。
私たちの思いや事業計画、立ち上げに必要な入会者数や資金、設立までのスケジュールを示した上で、設立可能かの判断を行いました。結果、想定以上の70名の方から入会意思を表明いただき、無事に法人を設立。賛同いただいた方々と新たに入会手続きをして、現在に至った次第です。

この仕事を一生涯貫こうと決意した出来事

私の泣ける歌

希望者に資料を送付する際、自分たちを知ってもらいたいと自己紹介状を同封しています。生年月日、出身校、特技、好きな食べ物などの項目の一つに【泣ける歌:プリン(小藪千豊)】と書いています。
私の中でプリンが泣ける歌になったのは、会員Aさんとの思い出にあります。

Aさんとの関係

Aさんは無口で、自分ことをあまり話されません。趣味や好きな物などについても、多くを語りません。私も無口なタイプで会話は多くありませんでしたが、そのテンポや雰囲気が落ちつけて、心地よく感じていました。Aさんはいつも 『私のためにわざわざ来てもらってすいませんねぇ。』と言い、私から 「洗濯しましょうか?」と聞くと『じゃぁお願いするわ。』と言われ、自ら 『~してほしい。』といった依頼はされません。
私とは気が合わないのかな? と悩んでいた時、ある検査入院でAさんは告知を受けました。ショックを受け、ひとしきり泣いた後に「こんな場面に立ち会わせてすいませんねぇ。」と言われました。私はただ首を横に振るだけで、何も言えませんでした。

初めての頼まれごと

その後、入退院を繰り返していたAさんが、退院が決まった時、「退院したらうなぎ食べに連れて行ってんか?あんた旨い店知ってる言うてたなぁ。私、うなぎ好きやねん」と。
私が病室で大きな声で『行きましょ!美味しいですもんね、うなぎ』と言うと、Aさんは「毛が抜けて恥ずかしいから帽子買ってきてくれる?」と言われました。私は嬉しくて、すぐに帽子を買って翌日に届け、『週明けお迎えに来ますね。落ち着いたらうなぎですよ♪』と伝えました。

果たせなかった約束

退院日の早朝、病院から危篤の知らせが・・・。親族への連絡や葬儀の対応などの間も、ずっとうなぎのことが頭を占領していました。初七日を終えて帰宅につく車中で、ラジオから吉本新喜劇座長・小藪さんのプリンという曲が流れてきた時、運転できなくなり、その場で放心状態が続きました。

このことがきっかけで、私の中で何かが変わりました。言葉にするのは難しいのですが、たしかに何かが。

Aさんを偲び、合掌してうなぎをいただきました
果たせなかったうなぎの約束が、気持ちに変化を与えました

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